ネジ無し

文です

私は人の怖いものを聞くのが好き

結局いつも同じ話しちゃうとき、ある。 

なんやかんやとはなしていても着地点はいつも同じで、こういうのがつまり嫌いなんだわとか、結局人ってこうだよねとか、あれ?また私たち同じ話してるじゃん!ってなるとき、ある。

それがわたしの場合は誰かの怖いものの話。

人はそれぞれ別の人格。見た目が似てても(私は他人の外見を覚えるのが著しく苦手)、成分が同じでも、脳みそではいつも違うこと考えて、好みも様々で、つまり怖いものだって千差万別で……そういう話を聞くのが、あと話すのが好き。

例えば私は大きい変な物が怖い。これは大分説明しづらいんですけど、普段見慣れてる四角いビルや住宅街、山や海に比べて、見慣れないものがでかいと怖い。この説明しづらさがたまらないということについては、あとで書きます。


貯水タンク。
おばけ煙突
港とかによくある、キリン形のクレーンみたいなの。
六本木あたりのおしゃれな形のビル。バカみたいにでかいスーパーの看板。看板にくっついてる半立体のキャラクター。
渋谷駅に掲げられるくそでかい広告。吊り下げられてる巨大なポスター。青森県にある奈良美智の犬の彫刻。今はもうないガリバーランドのクソデカガリバー。タイにあるでっかいキモい仏像。川にかかる巨大な橋。沖にいるから小さく見える船。乳房雲。レンズ雲。気球。近くでみる飛行機。遠くに霞む巨大な観音像。笑顔の人間が写った大きな看板。スカイツリー。東京タワー。明け方前に見る連続した鉄塔。夜空に反して白く見える電線。白い壁に規則正しく穴が空いたような窓を持つ団地。そんな団地の集合体。現代アート彫刻。大きすぎる杉の木。



そんなに怖いものがあってどうするんだ、生きていけるのかと思われそうだけど、私は同時にそれらがとても好き。

視界に写った時に少し違和感のある大きなものは、特に遠くに霞んでいるとホラーゲームのコンセプトアートみたい。近くで見たらそれはそれで怖いし、でかい。怖い!見れない!と言いながらいつも顔を覆った指の間から見てしまうので、呆れられている。


すこし話をずらす。


私はエモいという言葉が苦手だが、それはなにかいいものを見るなり聞くなり体験するなりしたときに、直後ものすごく黙ってしまうからです。
映画を観た後は暫く黙って歩いてたいし、ほんとうは席からも立ちたくない。


好きなものやいいものは、言葉で上手く表せない事が多く、その感じを大事にしたくて、多分言葉で上手く表せないから好きなんだなと思う。

エモいという言葉が何を意味するか、どういう時に使われるかはよくわかるし、みんなは好きにしたらいいと思うけど、なにかすごいものを摂取したときにウッと言葉がつまり、全然上手く言えないけど……と切り出してポツポツ話す。ああでもない、こうでもない、その良さを伝えるためにいろんな言葉を使うのがとても好き。そうやっていろんな言葉を使ってる人の話を聞くのも好き。



怖いものの話は、それと似ている気がする。例えばこんにゃくがめちゃくちゃ怖い!見ると泣いちゃうって人がいたら、「どゆこと?」って思いませんか?昔の落語かしら、って思うでしょ。


それで理由を聞くと、なるほど!って思う。例えばこんにゃくのあの黒いぶつぶつがどんどん増えて襲ってくる気がする……なんて話を聞くと、そんなことある?!と思うと同時に、そこに人間の知能の高さゆえの謎のバグのようなものを感じて、感心してしまう。なんかわかる気がする、たしかに怖いかも……と思っても、私はそれわからんけどそうなんだね、と思っても、どっちにしても良い話聞いたなと思う。その人は私が理解できない怖いものの話を話すから、すごくいろんな言い方をしてくれて、そうすると知らなかった感覚がどんどん輪郭をもって、質量すらあるような、不思議な気持ちになれる。





だから私の怖いものの代表、遠くに霞む巨大な観音像の話をします。



お寺とかにたまに、白くて大きな観音様の像があるじゃないですか。あれって怖くない?!10メートルからもっと先まで、大きさはバラバラだけど、何でこんなに大きいの……って思う。


巨大白観音は、近くで見る時じゃなくて、遠くでチラッと見えるときに真髄を発揮する。


電車で移動してたりすると、山のなかに白い棒が見える気がする。何?と思うとメチャデカい観音様がやや下を向いて立っている。観音様特有のあの、柔らかいけど表情がないような顔で。


それが私はとても怖い。自分達が普段慣れ親しんでいる山や電線や家にまぎれて、巨大な観音像を見つけた時、死ぬほど背筋になにかが走っている気がする。その空気感ごと違和感を感じるような感覚は、とても言葉で言い表せないので、みんなには私になってほしい。そしたら死ぬほど怖いから。あと同時にすごく良いから。

やっぱり言葉では上手く言い表せない。喋ってるときはもう少しノリが乗ってるから、ベラベラここがこうでこれが怖くて……って話せるけど、これが文章になったとたん、私が抱いてる名前のない感情が、一文字一文字無理矢理形を固められ、しかもそれが少しずつずれていくような気がしてきちゃうね。

友達には大抵怖いものの話を聞いて回ってしまったので、私は怖いものの話に飢えているのだ。
だからいつも同じ話をしてしまうし、同じ話を聞いてしまう。


もしよかったら私のツイッターのDM とか何でも良いから、怖いものの話を送ってほしいですね。私がただ嬉しくなるだけだけど、とても真面目に聞くと思うので。





ちなみに私の一番の推し観音は、大船の観音様です。他の観音像とちがって上半身しかないから、山から突然そこそこの大きさの上半身が見えて最高。
  


みんなの怖いものの話も、聞かせてね。